チーズ大国のオランダで「急速な牛乳離れ」が起きている意外な理由
ソース: PRESIDENT Online / 画像: 三浦 咲恵(みうら・さきえ) / 著者: 三浦 咲恵(みうら・さきえ)
なぜ牛乳より「オーツミルク」なのか
チーズ大国・オランダの食卓から牛乳が減り、代わりにオーツ麦を使った「オーツミルク」が増えている。日本からオランダに移住したフォトグラファーの三浦咲恵氏は「オランダをはじめ欧米では、牛乳を飲むことは環境破壊になるという考え方が広がりつつある」という——。
「これは、人間のためのミルクだ」
2019年の冬くらいに、私が暮らすオランダのアムステルダムで「It’s like milk but made for humans.(これは、人間のためのミルクだ。)」と書いてある巨大な広告を見た。スウェーデンに本社を置くOatlyという会社の、オーツミルクの広告だった。デザインが良かったこともあり、普段はすぐ忘れる広告でもなぜかそれだけはよく覚えている。
この時点でオーツ麦を原料としたオーツミルクにさほど興味は示さなかったが、2020年の春を過ぎたくらいにそれは無視できない存在になっていた。友人の家に行けば「ごめん、牛乳ないけどオーツミルクでいい?」と言われ、カフェに行けば多くの人が「カプチーノ、オーツミルクで」と頼んでいたからだ。いざ意識してスーパーの陳列棚を見ると、牛乳や豆乳、アーモンドミルクを差し置いて、カルシウム入りや低脂肪など5、6種類のオーツミルクが目立つ位置に並べられていた。
なぜ、最近みんなオーツミルクなのか。ある日、一緒にカフェに入ってオーツミルク・カプチーノを頼んでいたオランダ人の友人にそんな疑問をぶつけてみると、さも当然といった様子で彼女は答えた。
「あぁ、それは環境のためだよ」
世界一環境にやさしいサッカークラブ
オランダをはじめ、ヨーロッパ全体で今「サステナブル(持続可能)な生き方」が大きなトレンドだ。近年の夏の異常気象も手伝って、環境問題に意識的な人が特に若い世代で増えている。
それは組織やブランドのあり方にまで浸透している。
イギリスでは世界初となるサステナブルなサッカーチーム「フォレストグリーン・ローヴァーズ」が生まれた。同チームが創設されたのは1889年だが、大手グリーンエネルギー会社がオーナーになった2010年より方向転換。自家発電による農薬を使わないオーガニックな芝作り、雨水の再利用にプラスチックをカットしたユニフォーム作りと、サステナブルな取り組みを徹底して行う。
その結果、2018年7月には二酸化炭素の排出量と吸収量が同じになる「カーボンニュートラル」な世界初のスポーツクラブと国連に認証、つまりは「世界一環境にやさしいサッカークラブ」とお墨付きをもらう。経営困難だった極貧サッカーチームが知名度を高め、今では世界中から多大なサポートを受けるほどの人気を得ている。
オランダでは2011年にサステナブルデニムのブランド「Kings of Indigo」が誕生し、ここ数年ではサステナブルを掲げる多くのファッションブランドやセレクトショップが続々と立ち上がっている。中にはサステナブルなハンガーのブランドまであるから驚きだ。
これらのファッションブランドは環境に負荷の少ないリヨセルやオーガニックコットン、リサイクルされたペットボトルなどを材料として使い、工程上の水の使用も大幅に抑えた商品を作っている。最近では大手ファストファッションブランドのH&MやZARAでもサステナビリティーを推した商品を多く作っているので、ファッション業界全体を巻き込む大きな流れであることは明らかだろう。
「肉を食べることは時代遅れの慣習だと思う」
そしてなにより、先に書いたオーツミルクをはじめとした人々の食生活が、目に見えるかたちで変わってきている。16歳以上のオランダ人を対象としたStichting Natuur en Milieu(自然と環境基金)の2019年の調査によると、ベジタリアンとヴィーガン(完全菜食主義者)の割合は全体の5%と日本とほぼ変わらない比率だったが、ベジタリアンでない人々の意識が大きく変わっていることが明らかになった。
全体の59%である「普段から肉を食べる」という人のうち、約8割は「4年前にくらべ、食べる肉の量が減った」と回答した。その理由としては「肉を食べることは時代遅れの慣習だと思う」という回答が多く挙がった。肉を意識的に減らしている「フレキシタリアン(セミ・ベジタリアン)」の割合が37%というのは、端的にその意識の表れであろう。
そんな状況を受けてか、アムステルダムの街はベジタリアンやヴィーガンにとても優しい。ベジタリアン・ヴィーガンレストランは年々数を増やしているし、そうでないレストランに行っても「*vegan」「*vegetarian」の表記がメニューに丁寧に付け加えられている。ラーメン屋にもヴィーガンラーメンが必ずあるし、ヴィーガンパンケーキ屋も大人気だ。
「ヌード・バーガー」から「ヴァージン・バーガー」へ
街の景色も目まぐるしいほどのスピードで変わってきている。先月は家の近所にあったしゃれたハンバーガー屋「ヌード・バーガー」がその看板を下ろした。そしてそこに新しくオープンするのが、何を隠そう、ヴィーガンバーガー屋である。「ヴァージン・バーガー」という名前らしい。ポップな文字で「100% Plant-Based!(100%植物性!)」と書かれている。ヌードからヴァージンへ……今は工事中なので確認できないがネーミングセンスからして同じオーナーかと思うので、コロナで潰れたわけではなく、ビジネスを考えた上での方向転換なのかもしれない。
では、なぜここまで菜食主義者の割合が増えているのか。菜食主義になる理由は、①味が好き、②アニマルライツの尊重、③健康の維持・向上、④環境配慮と大きく4つある。この中で今は、④環境への配慮という意識の高まりにより、ヨーロッパやアメリカを中心に大きな波を起こしている。
畜産業界による温室効果ガスの排出量は、全体の14.5%。先に挙げたファッション業界も10%と高いのだがそれを上回り、さらには個人の車や飛行機、電車や輸送用の船などを含めた世界中すべての交通機関を合わせた14%よりも高い。言い換えればそれほど環境におよぼす影響力が強い。
牛肉の温室効果ガス排出量は鶏肉の10倍
畜産業界の中でも温室効果ガスを圧倒的に出しているのが牛肉の生産だ。119の国、38万7000件の農場を対象に行われた大規模な調査を基にした2018年6月の米『サイエンス』誌の記事によると、牛肉は1キロあたり60キロもの温室効果ガスを排出しているという。これは豚肉の9倍、鶏肉の10倍であり、2位にランクインする羊肉の2.5倍である。同じタンパク源である植物性の豆と比べたら60倍だ。
なぜこれほど高いかというと、家畜の飼料である穀物の生産過程で排出される温室効果ガスに加え、牛や羊などが生きているだけで排出するメタン(温室効果ガスの一種)によるところが大きい。
しかも、畜産業が環境に与える影響は温室効果ガスだけではない。水と土地の問題もある。ハンバーガーひとつ作るのにおよそ2400リットルの淡水が使用され、肉・乳製品・卵・養魚の生産に世界の農地の8割以上が使われている。
この非効率極まりないシステムを維持する代償として、アマゾンをはじめ世界中で大規模な森林破壊が起こり、結果として多くの野生動物たちが絶滅に追い込まれている。これはひとえに、肉をたくさん食べたいから、という私たち消費者が作り上げてきた構造だ。
先に挙げたイギリスのサッカーチームはそれを強く意識し、選手の食事はもちろん、スタジアムで提供するフードもすべてヴィーガンに徹底している。菜食主義は環境問題に対する個人レベルでの最大のカウンターアクションだといえるだろう。
菜食主義は個人ができる最大の“サステナブルアクション”
そのような中で、私が思い出すのは去年ニューヨークで開催された気候変動対策を議論する国連気候行動サミットに日本代表として出席した小泉進次郎環境相が、現地滞在中にステーキ店へ行ったばかりか報道陣に「毎日でもステーキが食べたい」とうれしそうに語っていたことだ。問題は彼がステーキ好きなことではない。気候変動対策を話し合う場に参加する国の代表である人間が、公にこのような行動・言動をしたことである。
「国中の家畜を現時点から半分に減らす」という大胆な気候変動対策を発表したオランダ政府と、和牛券を配ろうとしていた日本政府。オランダのこの対策は国中の農家の反感を買い、トラクターによる大規模なデモで1000kmにわたる史上最大の渋滞を引き起こしたが、それくらいのことをやらないと気候変動と戦っていることにならないという政府の気概が感じられる。国の規模の違いはあれど、日本政府にはもう少し環境問題に意識的になってほしいと願う。
そもそも一般的な日本人にとって、菜食主義者のイメージはどういったものだろうか。気難しい・めんどくさそう・変な人……などであれば、その考えは一度平成に置いてきて、世界で今なぜ菜食主義者が増えているのかを思い出してほしい。菜食主義は個人ができる最大の“サステナブルアクション”だ。しかし同時に世界のトレンドであり、カルチャーとしての人気も高い。
代替ミルクのパッケージデザインの多くは写真に撮りたくなるほどおしゃれだし、無意識に「これを選ぶのはカッコいい」というメッセージを受け取ってしまう。周囲でヴィーガンやベジタリアンが増えているのを見て、自分も少し試してみようかなという気になるのは、流行を追う感覚にほかならない。
日本の食材、豆腐やおから、がんもどきが羨ましい
しかし、環境への負荷の低さはほぼ同じなのに、豆乳やアーモンドミルクではなくオーツミルクの人気が拡大しているのはなぜか。味もあるだろうが、温室効果ガスを二酸化炭素の排出量に換算した「カーボンフットプリント」の数値をパッケージに記載し、環境への配慮を前面に押し出したOatlyという会社のマーケティングの成果も高い。
アメリカでは今年3月のオーツミルクの販売数が前年比の470%、代替肉に関しては280%を記録した。この菜食主義への人々の移行は先進国を中心に急激に進んでおり、世界中に広がるのも時間の問題だろう。
日本人はおいしいものが大好きだ。食への探究心が強く、世界中の料理が比較的安く高いクオリティーで食べられる東京という街の魅力はすごい。しかし自分が食べているものは一体何なのか、その食材にはどのような背景があるのか、たまに立ち止まって考えてみてはいかがだろう。牛丼は確かに安いしおいしいが、たまには豚丼でも良いんじゃないだろうか。牛乳を習慣で毎日飲んでいるが、これをためしに豆乳に変えてみるのはどうだろう。
日本は代替肉が浸透していない一方で、豆腐やおから、がんもどきなどの大豆ベースの食材が昔から豊富にある。寒い冬の湯豆腐は最高だが、湯豆腐と熱燗の組み合わせも立派なヴィーガン食だ。絹豆腐が1パック400円もするオランダにいると、そんな夕飯はうらやましくて仕方がない。
オランダからチーズが失くなる日が来るか
では、オーツミルクの台頭でオランダからチーズが消えるのだろうか。消費量は減る傾向にあるかもしれないが、完全になくなることはおそらくないだろうと私は思う。ベジタリアンのオランダ人の間でも「肉や卵は食べなくてもいけるけど、チーズだけは絶対無理だ」という人がかなり多い。
最近アムステルダムでも初のヴィーガンチーズ屋ができ、筆者も試しにひとつ買ってみたが、正直チーズとは似ても似つかない全くの別物だった。チーズの消費を少し減らしつつ、同時にヴィーガンチーズを気分転換にたまに買おう、という緩いスタンスで十分なのだ。
人口の約4割がベジタリアンのインドでは、食を楽しむためにスパイスという文化が発達した。何かを我慢するのではなく、できる範囲で無理なく楽しんで行動することが大事なのだ。オランダで急速に進むサステナブルな暮らしに大いに影響されたわが家は、気づけば一日一食はヴィーガンになっている。はじめてトライしたヴィーガンクロワッサンは予想外においしく、肉を使わないカレーは調理や片付けが楽でありがたい。
新しい服を買う際はごく自然にサステナブルブランドから選ぶようになり、正直何も意識していなかった頃よりも毎日いい気持ちで過ごせている。自分がどこにお金を使うかを考えるのはとても大切だ。ストレスフリーなことはもちろん、「あぁ良いことをしたなぁ」という自己満足こそが、サステナブルな生き方を支える大きな力だと筆者は思う。